【FF16】フェニックスゲート地下遺跡のシーンがなぜ重要か振り返る(2周目プレイ記録3)

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『ファイナルファンタジーXVI』の2周目(FFチャレンジ)のプレイ記録。

主にストーリーに関して、2周目で感じたことや気づいたことなどを書いていきます。

今回は、フェニックスゲートの地下遺跡のシーンがなぜ重要かを考えたり、フーゴのことに触れたり。

メインストーリー全域のネタバレがあるので、1周クリア後の閲覧がおすすめ。

地下遺跡で己を受け入れたことの意味

フェニックスゲートの地下遺跡で、クライヴは自分が火のドミナントであり、ジョシュアを殺した張本人であることを受け入れ、前に進む決意をする。

1周目では、派手でエモーショナルな演出にただただ圧倒されて「なんかすごいことが起きてる」くらいにしか思わず、その少しあとには「あれ、ジョシュア生きてるじゃん。じゃあ、あれは何だったの?」と混乱していた。

2周目で地下遺跡のシーンの役割や重要性をなんとなくつかめたので、自分なりに整理してみる。


まず、この場面の役割は3つある。

  • ジルにも過去と向き合う決断をさせる
  • クライヴの目的が、人が人として生きられる場所をつくることになる
  • アルテマがクライヴを乗っ取れなくなる

ここで取り上げたいのは、3つめのアルテマのこと。

アルテマは、アルテマのアルテマによるアルテマのための世界の創世のため、クライヴの肉体を器として利用しようとしている。

アルテマがクライヴの肉体を手に入れるための条件は、以下の3点(たぶん)。

  • クライヴがイフリートになれる
  • クライヴが召喚獣の力を吸収した
  • クライヴの思念が取り除かれている

地下遺跡でクライヴは、自分がイフリートであることを認めた。

ただ、クライヴは器として未完成なので、今後アルテマはクライヴを成長させるためにいろいろな試練を与えることになる(ほかの召喚獣の力を喰らわせることのほか、石塔なども)。

器の誕生を心待ちにしていたアルテマにとって、クライヴがイフリートの力を得ることは喜ばしいことだ。

しかし、クライヴがイフリートの力を得たという事実以上に、クライブの内面には大きな変化が起きている。

クライヴは、自分がイフリートであると認め、自分がジョシュアを殺したという罪を受け入れ、前に進む決意をした。これは、クライヴの強い自我となった。

罪を背負って生きること、自分以外の世界に目を向けることは、思念の強化にほかならない。

クライヴとアルテマは互いに強固な自我を持つから決して溶け合うことができない、と最終決戦でジョシュアが口にしていた。

クライヴがクライヴとしての意思を持つ限り、アルテマとひとつになることはない。

この先、クライヴの自我はたくさんの人とのつながりでさらに強化されていくが、アルテマが器を手に入れられないきっかけとなったのが、このフェニックスゲート地下遺跡での出来事なのだと思う。

罪悪感に関しては、ジョシュアは死んでいなかったけど、マードック将軍やほかのロザリア兵が犠牲になった事実に変わりはないので、クライヴから罪悪感が消えることはないかと。

ドレイクヘッドでのアルテマ拒絶

マザークリスタル・ドレイクヘッドでは、アルテマがクライヴたちの前に姿を現す。

振り返ったら見たこともない不気味な生命体がいて、自分のことを「ミュトス」と呼んで、「今こそひとつになるとき」とか言われたら、そりゃあフリーズするよね。

イフリートがティフォンを倒したことで、アルテマはクライヴが器にふさわしいと認定。

しかし、クライヴはアルテマを拒絶する。

拒絶できたのは、クライヴが地下遺跡で強い自我をつくっていたから。

アルテマは器が抗うことに驚き、拒絶は人の自我の果てで、けしからんことだと見なす。

この場にいたアルテマはアルテマの一部で、それをジョシュアが封印してクライヴは助かった。

1周目でこのあたりのシーンを見たときはわけが分からなかったけど、ジョシュアが生きていると判明したこと、シドから想いを託されたことが、クライヴの自我を一層強化し、アルテマのつくった世界の因果を変える起点になったのだろうなと思う。

あと、以後クライヴはシドを名乗るわけだけど、クライヴが人の想いを継ぐ=その人の名前を継ぐ=それに抵抗がないっていう点は、エンディング考察のひとつの材料になりえる。

怒りと悲しみのフーゴ

話はドレイクヘッドに行く前の、ベネディクタの死を知って怒り心頭のフーゴたんに戻る。

このフーゴを見て思ったのは、「大切な人が死んで、その首が箱詰めで送られて、犯人を知って怒りが爆発した程度では召喚獣の力は暴走しないんだな」ということだった。

まあ比較対象が、

  • いきなり目の前で父親が殺された
  • そんなつもりなかったのに自分の投げた槍で父親が死んだ
  • 「人生終わった。こんな世界壊れちまえ」

なので、恋人(思い込み)が殺されたくらいでは弱いのかもしれない(フェニックスは暴走だったのかよく分からないけど)。

でも、この場でフーゴが暴走しなかった最大の要因は、フーゴがちゃんと悲しんでいたことだと思う。

悲しみというのは、喜びを感じるために必要なもの、他者とのつながりを深めるもの、自分の心に寄り添うものだと、映画『インサイド・ヘッド』で描かれていた(うろ覚え)。

ベネディクタへの思いが強いから、フーゴの悲しみも深い。

他者とのつながりに起因する悲しみは、自我のひとつ。

悲しみは己を保つ大きな要素なのかもしれない。

フーゴは隠れ家を襲わなければ同情の余地があったのにね。

諸悪の根源は「やったのはシド」とフーゴに吹き込んだバルナバス側にあるんだけどさ。

隠れ家襲撃は、クライヴたちに多大な犠牲と悲しみをもたらした一方で、彼らの結束や絆の深まりに貢献している。

結果としてミュトスの思念の鎖がより複雑にガチガチなっていて、仮にフーゴとクライヴが戦うきっかけ作りだったとしても、あまりアルテマのためにはなっていない気が。

続き:ジルの「親殺し」という見方

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