【映画】時代も人も変わっていく。『ダウントン・アビー/グランドフィナーレ』感想
いよいよシリーズが完結するということで、劇場版1作目と2作目だけ見直して、『ダウントン・アビー/グランドフィナーレ』を見てきた。
白状するとドラマのシーズン5と6は見たことがないので、ストーリーの理解は穴だらけではあるが、イギリスのヨークシャーに邸宅を構えるグランサム伯爵一家と使用人たちの群像劇が大団円を迎えて非常に感慨深かった。
なお、シリーズを一度も見たことない人がこの映画を単独で見ても、登場人物が多すぎて訳が分からないと思う。
以下、映画のネタバレあり。
全体的なこと
舞台は1930年のイギリス(ドラマのシーズン1開始時は1912年)。
時代背景としては、1929年の世界恐慌による影響が続いている時期で、土地を基盤とする上流階級が相続税の引き上げで打撃を受けたり、投資やビジネスで富を築いた、血筋によらないステータスが台頭してきたりしている。
貴族と労働者といった目に見える階級が壊れ始めていることも、劇中の演出から表現されていたように思う。
シリーズの完結編であり、変わりゆく時代の中で人々が何を捨て、何を選び、どう生きるかを描いた作品だった。
印象的だったこと
●メアリー
映画のストーリーは、離婚報道で社交界を追放されたメアリーが、周りの協力や有名人とのコネをフル活用しながらダウントンの新領主になるというもの。
同時に、若者が古い価値観や伝統、遺産の中から何を選んで守るのか、年長者は子世代を信じて手を引くべきなのか、といった世代ごとの葛藤なども見どころになっている。
たとえ男性側に非があっても、女性にとって離婚は社会的な死を意味する一方で、離婚した男性には寛容だったらしい当時のイギリスの謎ルール。
まだまだ古い慣習が根強い中で、女性が領主になることは大きな決断である上に、家は財政難。ロバートとコーラが引っ越したことで、最終的に屋敷に残ったのはメアリーとその子どもたちだけ。
メアリーは孤独や不安を感じながらも歴史と家を守り、受け継がれた遺産を次の当主に引き継ぐため、変わりゆく時代を強く生きていくのだろう。バイオレットの肖像画に見守られながら。
嫌なことがたくさんあって勢いで初対面の男と寝てしまったメアリーと、それを聞いたイーディスが「そいつトルコ人?」と懐かしいネタで皮肉を言ったシーンは笑った。
●トム
劇場版を通して好感度が一番上がったのがトム。
身分差のある結婚だったり、イングランドとアイルランドの対立だったりと、自分の主義を主張しては様々な壁に直面してきたトムも、時を経てだいぶ丸くなった。
自分の稼いだお金を、「一生の恩がある」とロバートに渡そうとしたのはグッと来た。シビルがいなくても、政治的信条を共有していなくても、クローリー家はトムの居場所なのだ。
トムもまた、価値観の違いと向き合い、変化していくことの重要性を象徴する人物だった。
それにしても、人だらけのアスコット競馬場で知り合いと偶然すれ違い、詐欺師の情報をゲットしてクローリー家を救うラッキー体質は一体なに? 劇場版1作目でも似たようなことしてなかった?
●デイジー
パットモアさんから料理長を引き継ぎ、屋敷の食事に責任を持ち、若者を指導する立場になったデイジー。
パットモアさんが「あんたは私の娘同然だから」と言い、デイジーが「その言葉を一生の宝物にします」と答えたシーンで泣いた。デイジーも母親がいないもんな。
地元のフェスの運営についての会議で、カーソンさんが縮こまっているのをよそに、デイジーが年上の偉い立場の貴族の男性(名前忘れた)に物怖じせず問題点を突きつけ、「声を上げれば変えられるんだ」と語っていた姿が印象的だった。
メアリーが上流階級の女性を象徴する存在なら、デイジーは労働者階級の女性を象徴するような存在かもしれない。
●トーマス
久々にトーマスが周りからトーマスと呼ばれていた気がする。
性的指向と時代の残酷さの板挟みで、擦れに擦れて自分も他人も傷つけていたトーマス。
いったいトーマスはいつ幸せになれるんだと毎度思っていたが、結果としてイケメン俳優に誘われて付き人としてアメリカに渡るという、少女漫画も嫉妬するような特大ホームランで着地して感無量。
自分らしく生きるために、合わない環境から離れるのも生き方のひとつだ。
ダウントンでのパーティーで、メアリーがデクスターに「バローさんも呼んだら?」と声をかけたのが印象的だった。
社交の場に同伴できるのは基本的には夫婦だけであろう時代、かつイングランドにおいて男性の同性愛が有罪だった時代に、デクスターのパートナーとみなしてトーマスを招いたのは、かなり革新的なことだったのではないかと想像する。
社会の理不尽な決まりで不当な扱いを受けた経験があるメアリーだからこそできた配慮だったのだろう。
そしてパーティーでトーマスとトムが挨拶していたのが感慨深すぎた。
大変おま環な話をすると、これを書いている時点で私は『THE WIRE/ザ・ワイヤー』を見ているところで、このドラマの主役級キャラのマクノルティをデクスターと同じドミニク・ウェストが演じていることを知ったとき、雰囲気もアクセントも全然違ってえらいびっくりした。
●その他
- 執事になったアンディは発音が美しくなった気がする
- アンナが相変わらず「私にお任せください」と言って主の困りごとを解決してしまうのに笑った
- イーディス、強くなったなあ。アメリカ産の詐欺師をイギリス流に撃退
- コーラはパットモアさんにハグしたのに、メアリーはアンナにハグしないのは、アメリカ育ちとイギリス育ちの差なんだろうなと
- ヒューズさんと新婚パットモアさんの大人女子トークよ
- シビーってまだ10歳だよね? 大人っぽくなりすぎて違和感が…(同じ子役が続投しているらしい)
いろんな英語アクセント
ドラマを見ていた当時は分からなかったけど、登場人物の英語アクセントは階級や出身地によって使い分けられている。
伯爵一家は流れるようなRP(容認発音)、デイジーやアンナなど多くの使用人はヨークシャー訛り、トーマスはマンチェスター、ヒューズさんはスコットランド、トムはアイルランド、コーラはイギリス在住歴が長いアメリカ人の英語、といったように。
ノエル・カワードはゴリゴリにポッシュな英語だった。
出身地だけでなく、地位や受けた教育によってもアクセントは異なるので、どう話すかも登場人物のアイデンティティのひとつになる。イギリス英語の興味深いところ。
完結編を見て、もう一度シーズン1から見返したくなった。