【THE LAST OF US】暴力の連鎖は止まらない。シーズン2第6~7話感想

ラストオブアス 画像

なぜ6話をシーズン2の最終回にしなかったんだ!

と思わず心の中で叫んだ『THE LAST OF US(ラスト・オブ・アス)』シーズン2。

まあゲームに忠実な区切りといえばそうなんだけれども。

以下、主に6~7話の感想。ネタバレあり。

「もしお前が親になったら、俺よりもうまくやれ」

「もしお前が親になったら、俺よりもうまくやれ」というのは、ジョエルの父からジョエルへ、ジョエルからエリーへと伝えられた言葉。

ジョエルとエリーの最後の会話であり、ジョエルからエリーへの願いが込められた言葉でもある。

父親に虐待されていたジョエルは、父親よりいい父親になるべく、エリーを肉体的に傷つけることはしなかった。

その代わり、周りへの暴力は躊躇しない。

アビーの復讐の発端となったソルトレイクシティの病院の襲撃や、エリーがジョエルの嘘を確信することになったユージーンの射殺は、結果としてエリーの心を傷つけている。

ひとりで勝手に決めて、誰かを傷つける親にならない。

果たしてエリーにそれができるのか?

そう強く問われた第7話だったと思う。

親になるということ

ドラマ版はゲーム版よりも、親としてどう生きるのかに焦点が当てられている。

ディーナはお腹の子のために大好きな酒を拒否し、絶対に死ねないと足の痛みに耐え、ジャクソンに帰ることを望む。ディーナの最優先事項は復讐ではなく子供になった。

ジェシーはもとよりエリーの復讐に反対していたが、ディーナが自分の子を妊娠していると知ると、一刻も早くトミーと合流し、ディーナをジャクソンに連れ帰ることを望む。

では、ディーナと一緒に子供を育てるつもりでいるエリーはどうかというと、ジャクソンから出発したときと変わらず復讐が最優先だった。

トミーと合流したら帰ることに同意したものの、ノラから得た情報はシアトル水族館のことで、そこにアビーがいると分かったとたん、エリーはジェシーの説得を聞かずひとりで復讐に向かう。

復讐は町(コミュニティ)のためにならないとジェシーに止められても、ジャクソンで育ったジェシーと異なり、エリーにとってのコミュニティはジョエルの比重が大きい。

最大のコミュニティを壊された怒りだけではなく、5年前の事件に関してジョエルを「許せないけど許したい」と思っていたのに、その機会を奪われた理不尽さもまた、エリーを焚きつけ盲目的な復讐に向かわせている。

でも、今のエリーにはディーナがいて、ディーナの子供もいる。

エリーのコミュニティはもうジョエルだけじゃない。過去に縛られず、自分本位にならず、未来の大切なものに目を向けられるか。

そこに親としての自覚の差があったように思う。

トミーがゲーム版と違って復讐に対してかなり冷静に改変されているのも、ジョエルの「親になったら俺よりうまくやれ」がドラマ版の軸のひとつになっているからかもしれない。

連鎖する暴力とその代償

復讐に燃えるエリーが我に返るきっかけになったのは、間違いなくメルの死。

ゲームでは、メルが妊婦だと知らないままエリーがメルの首を刺すという、ラスアス2有数の鬱展開だったわけだが、ドラマではオーウェンを撃った弾がメルの首にも当たってしまうという不運な事故になり、だいぶマイルドな描写になった。

子供だけでも助けてとエリーに切開を請うメルは悲痛だし、どうしていいか分からず涙を流すエリーも見ていてつらいものがある。この状況で切開はたいていの人には無理だ…。

セラファイトの子供を見殺しにしたことでジェシーを責めたエリーが、母親になる女性と胎児を死なせるというショッキングな展開。

エリーの一番大切な人も妊婦で、自分自身も親になろうとする立場だったのに。アビーたちとは違うと証明するため、殺すのはアビーだけのはずだったのに。

ジョエルが引き起こした暴力の連鎖は、アビーの復讐、エリーの復讐へと続き、無関係の命を巻き添えにする。

その連鎖は、さらに続く。

アビー編への導入と不満点

水族館に来たトミーとジェシーに連れられ、劇場に戻ったエリー。

ディーナと言葉を交わせないほどショックを受けているエリーは、ジェシーとも当然気まずいのだが、ジェシーは大人でいいヤツだった。

本当は水族館に寄りたくなかったが、エリーが同じ立場だったらエリーも俺を助けに来ただろう、だからエリーを助けに行った。

その結果……

オーウェンとメルが殺されたことを知ったアビーが劇場に来て、ジェシーは撃たれた。

暴力の連鎖は、どんどん拡大していく。

自分より他者を優先するよう生きてきたジェシーが、エリーとアビーの自分本位の復讐に巻き込まれるという皮肉。

アビーの銃口がトミーに向けられ、銃声と共にブラックアウト。アビーのシアトル1日目に時は遡ってシーズン3へ。

なぜ6話のジョエルとエリーの会話で清々しくシーズンを終えなかったのかと思わずにはいられないが、ゲームもエリー編 → 劇場 → アビー編の流れだったので、まあ区切るならここか…と理解はできる。

いっそのこと、エリーとアビーを並行して話を進めてくれればよかったのに。

そうすれば、エリー編のシアトルが駆け足すぎることもなかっただろう。セラファイトについては、現時点では「なんかヤバそうな集団」くらいの印象しか残っていないし(今後印象が変わるかは別の話だが)。

水族館に行く途中のセラファイトのシーンも、きっとアビーのほうで取り上げられるんだろうけど、エリー編であれ必要だったのか?

とりあえず次のシーズンが配信されるころには、アビーの仲間たちの顔と名前は一致しなくなっている予感。

おわりに

なんにせよ、次のシーズンはしばらくアビーの動向を追う展開になり、WLFのことやセラファイトとの対立などを経て、シアトル3日目の劇場に合流する形になるだろう。

なぜアビーがWLFのリーダーから後継者扱いされているのか、どんな素質があるのか、なのになぜ行方不明になったのかなど、ゲームのアビー編の記憶があまり残っていないので新鮮な気持ちで楽しめそう。

復讐に突き動かされていたエリーと違い、アビーはすでに復讐を果たした立場としてシーズン3を迎える。

大きな目的を達成したアビーが何を求め、どう生きようとしていたのか。

正直そこまでアビーに興味はないのだが、だからこそ無関心を突き破ってくれるようなドラマになることを期待したい。

関連記事

ドラマ版ラスアス 感想考察

復讐の始まりと「Through the Valley」の歌詞のこと。シーズン2第2話感想|THE LAST OF US

ラストオブアス S2E2感想

Next Post Previous Post