【FF14】ふたりの兄さんの黄金のレガシー。メインクエストクリア後の感想
「黄金のレガシー」のメインクエストをクリアしたので感想。
夏休み満喫してたのエスティニアンだけではとか、荒野の西部劇はなんだったのかとか、いろいろ思うことがある中で印象に残ったのはふたりの兄さんでした。
以下、7.0メインクエスト全域のネタバレあり。
コーナのほうが王に向いてない?
私は継承の儀は退屈だった派で、その一番の理由はウクラマトが主役になっていて冒険者はウクラマトを導き支援し成長を見守る役割だから、と前回の記事で書いたんですが。
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メインクエストをクリアして振り返ると別の理由もあった。
それは常に「コーナのほうが王に向いてるんじゃ?」という気持ちがあったから。
自らの無知を自覚し、各部族の文化や歴史に関心を持ち理解しようとする姿勢。ヴァリガルマンダ討滅戦に参加できるだけの戦闘力。試練をクリアできるだけの知恵。
コーナ兄さんがウクラマトに劣る点がない。
双血の教えの件をウクラマトが解決できたのだって、たまたまバクージャジャのお母さんがウクラマトに相談したのがきっかけだった気がする(うろ覚え)。兄さんに足りなかったのは、運だ!
クエスト全体を通して、黄金のレガシーで私が一番ショックを受けたのはコーナ兄さんが試練を辞退したときでした。
ゾラージャの反乱や永久人システムのことを知ったときよりもショックだった。コーナ兄さん、なんでぇぇぇぇーーーーー! って。
理王コーナの活躍
たしかにウクラマトのほうが親しみやすい。相手を知ろうとする意欲が高い。民を好きになってくれるし、民も王を好きになってくれる。
でもそれはコーナにできないことか? もっと自分を表に出したほうがいいとサンクレッドに指摘されれば改善できるコーナだぞ。
それに、国のトップに必要なのは親しみやすさではなく、人々の暮らしを守れることではないか。
多様な価値観を尊重し、技術革新や教育に力を入れ、人々が衣食住に困らない生活は、平和があってこそのもの。ウクラマトの主張は正しい。
でも現実は、戦争が起きたらそんな余裕はなくなる。目立たなくても、国防と外交で力を発揮できるリーダーが国の存続を大きく左右する。
実際にゾラージャの一度目の奇襲のあと、武王ウクラマトの留守中、ゾラージャ軍の二度目の襲撃からトライヨラを護ったのは理王コーナだった。
国の防衛体制を整え、迅速な国交樹立でラザハン太守というチート級の助けを得て、コーナは防衛面でも外交面でも立派に国王の務めを果たす。トライヨラのみんなの笑顔を護ったのはコーナ兄さんである。
ウクラマトも黄金郷に同行してスフェーンを止めることで間接的にトライヨラを護ったことにはなるけど、一国の王が死ぬかもしれないリスクを抱えてまでやることだったか?
リビング・メモリーのウクラマトは、ナミーカに会えてよかったねくらいでは。あのシーンはすばらしい。成長したウクラマトを見てナミーカが今が一番幸せだと言って老齢に戻るの。話が逸れました。
ウクラマトとコーナ、連王だからそれぞれ得意な分野で活躍していけばいいし、長い目で見ればウクラマトがアレクサンドリアやスフェーンのことで得た知見が国政に活かされる可能性はある。
ただ、クエストを見て王に向いているのはコーナのほうだなと私は思ったので、冒険者がウクラマト側についてウクラマトを王にするため奮闘し支えていくのは自分の気持ちとの乖離があった。「サンクレッド交代してくれ」と試練で何回か思った。
この「ウクラマトじゃなくても」感が拭えなかったことが、継承の儀を含めてクエスト全体であまり気乗りしなかった大きな理由かなと思う。
兄さんがもっとダメ人間でサンクレッドとウリエンジェにしばかれていたらまた違う印象になったのに。
奇跡の子ゾラージャ
双頭の王グルージャジャ唯一の実子として生まれ、奇跡の子と呼ばれ次期国王を期待されたゾラージャ。
ゾラージャが何を考え、何を思っていたのかは本人からは語られない。
偉大な王様の子ではなく自分は自分だと証明したかったから?(グルージャが言ってた)
双頭でないことに負い目を感じ、だからこそ強大であろうとし、他者に頼る選択肢を消した?(異邦の詩人が言ってた)
なぜグルージャジャはゾラージャに向き合わなかったんだろう。ウクラマトが世間知らずなのもそうだけど、グルージャジャって子どもの成長は重視するけど教育には熱心じゃなかったのかな。俺の背中を見て育て的な方針だったとか。
まあ連王としては偉大だったグルージャジャが親としても完璧だったら「黄金のレガシー」は成り立たないので、トライヨラ王宮の教育方針は置いておきますか(ゾラージャが父から受け継いだのが子どもの教育への無関心になっちゃうし)。
なんにせよ、グルージャジャが養子のウクラマトやコーナも実子と対等に育てたからこその弊害だったように思う。
実の子なのに父親に特別扱いされない、民の期待を一番に背負っているのは自分なのにと、ゾラージャはひとりで暗い気持ちを抱えていたのではないか。
相手のことを知ればもっと好きになれる、と話すウクラマトがゾラージャにはあまり深く関わろうとしなかったのは気になったけど、家族の対話ではどうにもならない規模で深刻だったと家族全員が察していたのかもしれない。
ゾラージャの望みは父親に選ばれることだったのか、力で自分の価値を証明することだったのか。
父を超えるため、ゾラージャはSF世界で30年を費やしたのちに父を殺すことに成功し、そのあとはトライヨラの新たな連王を倒して自分が真の王だと証明することを目的にしていたけど、グルージャジャが死んだ時点でゾラージャの欲求の行き場は消えた。
ゾラージャの黄金のレガシー
ゾラージャには、グルージャという子どもがいた。
グルージャを捨てた理由は、ゾラージャがほしかったのは双頭の子だったからだと勘ぐっている。父には作れなかった双頭の子を作れば、父を超えられるという考えで。
双頭の子が産まれる確率は低いという話があったので、グルージャが産まれる前に犠牲になった卵が山ほどあるんじゃないかと邪悪な想像をしてみる。知らんけど。
ゾラージャに関して不思議だったのは、自分でグルージャを捨てておきながらグルージャに自分の築いた遺産を残したこと。父上から何ひとつ受け継ぐことができなかった、だから息子に残すものもない、と言いながら。
でも受け継ぐか捨てるかはグルージャに委ねた。
それはきっと、ゾラージャは望んで奇跡の子になったわけではないから。自分の意志でグルージャジャの子として産まれたのではない。せめて自分の子には、自分で路を選んでほしいと思ったのではないか。
周りが勝手にゾラージャを奇跡の子と呼び、ゾラージャに次期国王を期待した。この点はスフェーンと似ている。
スフェーンは、本人の意志を問われることなく記憶から再現された。周りはスフェーンを奇跡の人と呼び「民を護る王」を期待した。
民の期待が奇跡の子と奇跡の人をつくり、理想のストーリーをつくり偶像に仕立てる。本人たちは重責を誰とも共有できず、自分ひとりですべてを抱え、民のストーリーが呪いとなり本来であればしなかったかもしれない凶行に及んだ。
ゾラージャとスフェーンは実は似た者同士で、このふたりが互いを深く知らないまま30年間手を組み、冒険者たちと対峙したことは、「黄金のレガシー」のおもしろいところだと思う。
ヨカフイ族の死生観でいうなら、人は肉体的な終わりを迎えても誰かの心の中で生き続ける。
ゾラージャも、心の奥底では自分が生きていたことをアレクサンドリアの誰かに覚えてほしくて、だからグルージャに遺産を残したのかもしれない。
そして忘れちゃいけない。
ゾラージャが遺したのはグルージャへの王権だけではなく、金色のアルパカもだということを。
ゾラージャに言及するトーブリのセリフを見たら、ゾラージャの感想があれこれ出てきてこうなりました。
金のアルパカ、いつか乗れるのかな。
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