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【ハウスオブザドラゴン】「父親の不在」で見るシーズン3までのキャラクター行動原理

ハウス・オブ・ザ・ドラゴン シーズン3 感想考察

「父親の不在」はフィクションにおけるひとつのモチーフだ、ということを最近知った。

その視点で『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』を見ていくと、キャラクターの置かれた状況や行動が分かりやすくなるなと思ったので、「こういう見方もあるね」くらいの感覚でまとめていきたい。

シーズン3最終話までのネタバレあり。

物語における「父親の不在」という呪縛

心理学や物語の構造において、父親とは単なる家族の一員ではない。

「社会のルールや秩序」の象徴であり、「子どもが自立するために乗り越えるべき壁」として描かれる。

父親は子の欲望を抑圧し、善悪の基準や社会の厳しさを教える存在で、あえて子どもの前に立ちふさがる壁として機能している。

しかし、父親が不在(死別、失踪、親として機能不全)になると、残された子どもには以下のような深刻な影響が現れる。

  • 見えない呪縛:父親がいなくなることで、かえって「父の残した言葉」や「世間が求める理想像」が神聖化される。生身の親なら反発や喧嘩ができるが、実体のない亡霊には逆らえないため、キャラクターの自由な選択が奪われる。
  • 逃げ場のなさ・極端な反発:父という第三者のストッパーがいないため、母親の孤独や期待を子どもがひとりで背負うことになる。その結果、親の期待に応えようと自分を殺して完璧ないい子を演じるか、その息苦しさから逃れるために過剰な反発に走るか、極端な方向に歪みやすくなる。
  • 代理の父への依存:正しいルールの手本を失ったことで、自分を導いてくれる別の大人(権力者やメンター)を無意識に探し求め、時に危うい依存関係を結ぶ。

父親がいないということは、キャラクターが自由になることではなく、反抗すらできない見えないルールに縛られ、自立の機会を奪われる過酷な試練を意味している。

本作における父親の不在

『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』で繰り広げられる血みどろの争いも、機能しなくなった父親の影と、それに振り回されながら自己実現を模索する子どもたちの葛藤として見ることができる。

本作でいう父親の最たる例は、もちろんヴィセーリスだ。

彼の育児放棄と死亡が子どもたちに与えた影響は大きい。

レイニラ

まず、ヴィセーリスはレイニラを後継者に指名したにもかかわらず、王としての教育を行っていなかった。ヴィセーリスに王の資質がなかったせいでもある。

いざ王都を奪還したレイニラには政治のセンスがなく、民がどのような王を求めているかまったく見えていない。

父から密かに託された、ターガリエン家が世界を救うという予言「氷と炎の歌」は、重すぎる使命としてレイニラを縛りつける。

父の期待に応え、国をまとめなければならないという見えない重圧が、レイニラを焦らせ選択を狭め、王としての正当性を暴力に頼るに至らせる。

デイモンはレイニラの叔父・夫だが、立場としては代理の父の側面が強い。

レイニラがヴィセーリスの残した使命に揺らぎ、王としての正当性を求める中、デイモンはレイニラに「俺たちの血筋とドラゴンの力こそすべて」とささやき、レイニラの代わりに戦場に立ち敵を排除する。

政治的にも軍事的にも、レイニラの決断はデイモンの影響を受けており、依存が続いているようにも見える。

エイゴン

エイゴンの母アリセントは、レイニラに王位を奪われれば息子が殺されるという強迫観念から、エイゴンに異常なプレッシャーをかける。

エイゴンは母の重すぎる期待から逃亡するため、酒や娼館に入り浸り、王になることすら拒絶するという過剰な反抗に走っていた。

戴冠後もオットーやアリセントの傀儡でしかなく、真の意味での権力や自立を得ることはできなかった。

しかし、エイモンドの攻撃で重傷を負ったあとは、ラリスという父親代理の手引きで王都を脱出し、抑圧を学び、家族への感情を言語化し、自分を客観的に見つめ直す機会を与えられる。

エイゴンの逃避行は玉座からの転落であると同時に、家族の抑圧からの解放と、自立への第一歩となっている。

エイモンド

エイモンドは、母を守る良い子・強い者であろうと過剰に適応する。

しかし、父から愛されなかった欠落感と、母の愛が兄エイゴンにばかり注がれているという思い込みが、攻撃的で危うい人格を形成していった。

エイモンドは母の愛のほか、自分を導く存在を求めていた。その対象はクリストンやデイモンだったが、彼らが教えられるのは力や暴力で、正しい規範や感情のコントロールといった本来の父性を与える者ではなかった。

ハレンホールでのアリスとの関係は母への過剰反応の延長なのか、自立の第一歩なのか。卵を守る=父親になる=既存の家族からの自立ともいえる。エイゴンが来たからどうなるのか分からないが。

父親の影響を受けた人物

父親の不在とは逆に、父親からの影響が大きかった人物もいる。

アリセント

父親の不在という観点で、レイニラの対極にあたるのがアリセントだ。

アリセントにとって、父オットーは絶対に逆らえない社会のルールだった。

家父長制を叩き込まれ、10代の頃から父の命令でヴィセーリスの寝所へ送り込まれ、自分の若さや自由をすべて捧げてきた。

アリセントは、自分の欲望や感情を殺すことで、義務を果たす王妃、道徳的に正しい女性といったアイデンティティの鎧をまとって自分を守るようになる。

また、アリセントはオットーから「レイニラが女王になれば息子たち(エイゴンとエイモンド)は殺される」という恐怖を植え付けられている。

その影響はアリセントの子どもたちへの態度にも現れており、息子や娘の幸せよりも生存・義務を優先し、愛よりもプレッシャーを与える傾向にあった。

その結果、エイゴンは過剰な反発をし、エイモンドは過剰に母に依存していった。

エイゴンの子を身ごもったヘレイナは母と密室環境に置かれ、自分の求めるものと母の守りたいものにズレがあることを認識していた。

アリセントは父親の強すぎる存在によって抑圧され、ルールと義務に忠実な女性となっていた。

しかしこれからは違う。オットーが処刑されて父の抑圧は完全に消えた。守るべき子どもたちは死ぬか自立するかして、母親から離れていく。

義務や犠牲といったアリセントのアイデンティティを構成する要素が消えていき、いよいよアリセントが自分の生き方を自分で決める時が来ている。

デイロン

アリセントとヴィセーリスの三男デイロンは、ヴィセーリスとオットーの影響を受けていない代わりに、オーマンドという「父親」の支配下に置かれていた。

オーマンドの抑圧は明確で、オーマンド流の正しい王とは何たるかを叩き込まれ、デイロンは言いたいことも言えず不満を募らせる状況にあった。

しかし、タンブルトンの戦いでオーマンドの意思に反する行動をとったことは父親への反抗であり、自立した大人になるために壁を超える行為でもある。

オーマンドが死んで間接的な父親殺しになったが、デイロンが何かしたかというと何もしていないので、今後はグウェインが父親代理になるのか、それともデイロンが自分でどうするか決められるようになるのかは、次のシーズンで注目したいところ(生きていれば)。

父親の不在の行く先は

父親の不在の一番の焦点は、キャラクターが見えない抑圧・呪縛をいかに打ち破り、自分のアイデンティティをどう獲得するかになる。

自分で自分の生き方を決め、親の亡霊から解放され自立できるかどうかだ。

その一方で、残された重圧を跳ね除けられず、そこに執着しすぎた場合は、自分自身や周囲を破滅させる結果となる。

(『ゲーム・オブ・スローンズ』で挙げると、父親の不在を乗り越えて自立に成功したのがサンサやジョン、破滅したのがサーセイやデナーリス)

シーズン3最終話の時点で、レイニラは破滅に足を突っ込んでいるのに対し、エイゴンは復活の狼煙を上げている。

ただ、王というものがそもそも国のシステムや規則や立場にがんじがらめになるものなので、玉座を狙う者が自己犠牲を避け100%自分のルールで生きるのは非常に難しいことだとも言える。

父親の不在の呪縛から解放され、なりたい自分となって真に自立できるのは王にならない選択をした者だけかもしれない。

レイニラもエイゴンも、王を名乗ろうとする者に訪れる結末は死か破滅か、何にせよ穏やかなものではないように思う。

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