夕木春央『楽園』感想。こんな狂ったハッピーエンドある?(ネタバレあり)
『方舟』『十戒』に続く3作目である『楽園』を読んだ。
本作のコンセプトは「殺人犯になれば脱出できる」。
今までにも増して狂った展開と狂った生き様を見せられて、もうスゴイしか出てこない。
未読の方はぜひ何も検索せず『方舟』から順番に読んでほしい。
以下、『方舟』『十戒』を読んだ上でのネタバレあり感想。
1作目と2作目を読んでいれば犯人は最初から分かっているようなものなので、注目点は別のところになる。康之は誰かを殺すのか、生きて楽園から出られるのか、と。
倫理観や周囲への疑念に激しく揺らぐ康之のヒリヒリするような心理状況は、ミステリーよりもサイコスリラー色が強い。
人を殺してはいけないという安全装置との葛藤、人なんか殺せるわけないという道徳観、それ以外に生き伸びる方法がないという緊迫感で悩みに悩む康之と、どこか場馴れした感じで冷静な沙織。
この沙織こそあの人だということは、会話の端々で読者にだけ伝わるが、康之は沙織とは1年ほどの付き合いしかないので、そんなこと知る由もない。
最終的に、ふたりが罪に縛られず生き延びるためには楽園の誰か1人ではなく6人全員を殺すしかない、と沙織に説得されて康之は覚悟を決める。
沙織だけに背負わせたくないし、沙織に愛されたいから。沙織はもう2人殺したが、3人目は康之が殺すことになる。
康之が沙織と一緒に住人全員を殺して、ふたりで逃げ延びて、康之は沙織と対等なパートナーとして罪を分かち合って生涯を共にするんだな? 沙織のメンタルなら余裕で住人全員を殺せるもんな?
私はそう思った。
そんなわけなかった。
そんな予想どおりのわけなくて、逆に安心した。
沙織から明かされたのは衝撃の事実。
すべては最初から沙織が仕組んでいたことだった。海原さんの失踪も、この施設に来ることもなにもかも。
本編が始まる前に、沙織はすでに人を殺していた。
殺人しないと脱出できないルールは住人たちが決めたことではあるが、沙織にしてみれば大した問題ではないだろう。
沙織にとって最大の課題は、人殺しなんてできないと言う康之を共犯者にすることだった。
その難題も、沙織は乗り越える。康之の欲しい言葉を与え、自分の真の目的を隠しつつ決意を示すことで、巧妙に康之の心を誘導する。
康之が沙織への疑惑と事件のトリック解明に葛藤する裏で、沙織は康之をいかに心変わりさせるかに尽力していたのだ。
沙織はやっと自分と対等になれる人が現れたことに嬉しそうで、1人目と2人目の被害者を殺した理由も本当にあっさりと、なんか虫が邪魔だったからくらいのノリで話す。
楽園での生活も、これからも康之くんと会えるし楽しみ、という雰囲気すらある。
真相解明まで自分の希望などほとんど話さなかった沙織が、楽園でああしたいこうしたい、と生き生きと語るのが滑稽だしあまりにもサイコパスだ。
凶悪犯の集まる楽園で実は誰よりも殺人実績のある沙織が、警察につかまらず自由に暮らせる。しかも、今回は一緒に罪を背負ってくれる恋人がサポートしてくれる。
康之はただただ沙織の都合に巻き込まれただけで、気の毒だ。先延ばし癖があって、度胸がなかった彼が、これからも沙織のパートナーでありたいとようやく決断した結果がこれだ。
でもたぶん沙織は、そんな優柔不断で人生に主体性のない康之だから丸め込めると踏んでいたのだろう。
沙織が康之に子どもが欲しいか聞くシーンがあった。とても大事な質問かのように描かれたけど、結局あの意図が何だったのかは明かされなかった。
康之が死体を刺すことになる直前の会話だったから、もし康之がいつか子どもを持ちたいとはっきり答えていたら、沙織は康之に人殺しをさせることはしなかったのかもしれない。知らんけど。『方舟』のとき幼稚園の先生だったし。
旧約聖書ではイブが知恵の実をアダムに渡して、ふたりは楽園を追放された。実を受け取り罪を一緒に背負う選択をしたのはアダムだ。
康之は沙織と対等でありたい、恋人であり続けたいと望み、沙織の共犯者となる道を選んだ。断ることはできたはずなのに。
知恵の実は善悪の知識を得る実だったが、康之にとって沙織の誘いは善悪の境目をごちゃまぜにさせるものだった。『楽園』において沙織はイブであると同時に、実を食べるようそそのかす蛇でもあり、この世界のルールを作った神でもある。
康之は実を食べたことで、目の前の沙織が沙織という名前ですらないという真実も知ることになった。
ところで、沙織が読んでいた小説『タイタンの妖女』ってどんな話なんだろ? と気になって調べたところ、作品の根底にあるテーマは自由意志の不在で、人間のちっぽけさや人生の無意味さを描きつつも、人間の生きる目的は愛されるために周りの人を愛することだと提示しているという。
康之の運命は沙織が握っていて、沙織の言う通りにするしかない。そんな中でも沙織に愛されるために沙織を愛する。康之の前で『タイタンの妖女』を読むという沙織の行為は、康之の運命を示唆するさりげない強烈なメッセージだった。
康之の視点で語られる『楽園』は、沙織が作った不確実性でいっぱいの箱庭で展開する物語だった。
沙織は『方舟』『十戒』に続いて、またもや勝負に勝った。今回は『方舟』のときと違い、愛と自由を両方手にする完全勝利だ。
3部作の最後に、沙織=綾川=麻衣はついに安息の地を見つけた。康之にとっては望まない結末でも、彼女にとってはハッピーエンドだ。
最高に狂っていてもはや清々しい。
『方舟』を読んだのが数か月前なので、記憶が鮮明なうちに完結編まで読めたことは幸運だった。
