【ウィッチャー】S1E6感想。伝説のドラゴンの扱いが残念だった


Netflixドラマ『ウィッチャー』シーズン1の第6話まで見た感想を、原作小説との比較を交えながらまとめた。

今回はシリもゲラルトも、ほろ苦さの残る話となっていた。

個人的には、せっかくの金のドラゴンが雑な扱いだったような気がしてならない。


シリ:にせマウスサックから逃げる

マウスサックが怪しいとダーラに指摘され、シリはそんなことないと思いつつマウスサックに鎌をかけてみたら偽物でしたと判明。

てかね、ドップラーはコピー元の経験も思考もそっくりいただくから、スケリッジが恋しいとか適当なこと答えるヘマはしない! と、ひとり異議を唱える私。

本物のマウスサックはやはり死んでしまったのか。残念だな。

ドップラーがわざわざシリに化けてカヒルに拉致されてくれたおかげで、シリは木に縛りつけられるだけで済む。

ダーラがシリを解放するも、意見の不一致によりダーラはシリを置いて立ち去る。そもそもなぜダーラが最初にシリを助けたのかもよく分からないけれど。


ゲラルト:ドラゴン退治の話

ゲラルトは原作小説「The Bound of Reason」を元にした話だが、他のエピソードに比べてドラマオリジナル色が強かった。

>>ゲラルトの不器用さと大義。ウィッチャー短編小説「The Bound of Reason」感想

ボルクからドラゴン退治に誘われるも全く気乗りしないゲラルトだったが、イェネファーが他のチームにいると知るやいなや参加を決意。

ドラマには、ジンの騒動からドラゴン退治の間にゲラルトとイェネファーがしばらく一緒に過ごしたのち別れたという事実はなさそうだ。


一団がドラゴン退治へ出発し、たき火を囲みながら話しているところで何気に重要な情報が。

ヤーペンが「ニルフガードでは正統な後継者が戻って南方を火の海にした。いずれシントラも」と話していたことから、この時点ではゲラルトの時間軸はシントラが侵略される前だが、ニルフガードのトップは以前話題に出ていたダメな王様ではなくなっているということが分かる。


サー・アイクがいなくなった途端、ゲラルトを自分のテントに招き入れるイェネファーにはもはや魔性を通り越してすがすがしさを感じる。

ベッドの中のふたりが、それまで他の誰にも見せたことのないようなリラックスした表情を見せていたのが印象的だった。

しかし、お肌のために寝なきゃと言ったイェネファーが化粧したまま寝てたのは解せぬ。


そして翌日、ゲラルトとイェネファーが死んだ緑のドラゴンを発見すると、足場の悪い道でわざとらしく退場していったボルクのお供テアとヴェアが再登場し、神話の存在であるはずの金のドラゴンが現れる。

金のドラゴンを見た時のゲラルトの表情すごく好き。目をパチクリさせて今にも「あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!」と言い出しそうな顔をしていた。

ドラゴンというと完全に『ゲーム・オブ・スローンズ』のドラゴンをイメージしていたが、ウィッチャーのドラゴンはスリムで爬虫類っぽさが残る外見だった。

現実世界にドラゴンが存在していたらあんな感じかもなという、恐竜図鑑に載っていても違和感のない絶妙なリアリティさだ。

ボルクの正体は金のドラゴンで、彼の目的は緑のドラゴンが残した子供を守ることだった。

そしてボルクの言葉がきっかけで、イェネファーはゲラルトと惹かれ合うのはジンの魔法のせいだと知り、怒りをあらわにする。

ゲラルトは魔法ではなく本当の気持ちだと言うが、イェネファーは「そんなの分からない」と反論。

ふたりの感情が自発的なものなのか、魔法によって作られたものなのかは不明だが、私は今のところ魔法の影響に一票。

原作のイェネファーは、ゲラルトと惹かれ合うことはジンの影響だと最初から理解していたので、この点に疑問を突きつけることはなかった。

一方ドラマのイェネファーは、自分の気持ちを意図せずコントロールされたことが許せない。

子宮は戻らないとボルクに言われたこともショックで、イェネファーはゲラルトから離れていく。

原作のこのエピソードは別れていたゲラルトとイェネファーがヨリを戻す話だったのに、ドラマでは真逆になっていてびっくり。

せっかく貴重な金のドラゴンが登場したのに、その尊さやありがたみが全然表現されないまま終わったのも残念である。

挙げ句の果てにゲラルトはヤスキエルに八つ当たりする。「お前がいなければ驚きの子のこともイェネファーのことも考えなくてよかったのに」と。

これは完全な言い掛かりである。

確かにきっかけを作ったのはヤスキエルだが、ダニーに驚きの法を行使したのも、ジンにイェネファーうんぬんと願ったのもゲラルトが選んだことだ。

大人げなく未熟なところが目立つのはドラマ版ゲラルトの特徴とも言える。

一番大人な対応ができるのは実はヤスキエルだった。


今回の好きなシーン

ヤスキエルがヤーペンに「ジュリアン・アルフレッド…」と本名(ただし途中まで)で自己紹介してたところが1つ。

もう1つは、テアかヴェアがボルクと一緒にいる理由を「彼は何よりも美しい」とヤスキエルに答えるところ。

この時点ではボルクはただの老人にしか見えないので聞き流してしまうが、後になってボルクが金のドラゴンだと分かるとその意味が理解できる。あのドラゴンのビジュアルが美しいかという点には議論の余地があるが。

原作だとゲラルトが最後に「その通りだな。彼は何よりも美しい」と回収してくれるのだが、ドラマ版は人間関係が荒れるエンドでそんな趣深さは皆無だったのがもったいない。

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